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人生とは切り口を見いだすことである。 すなわち意味を探す旅だ。 間違う事だってある。 それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。 人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。 恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
2017
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(表題)が、問われている時代だと思う。

今日は正味1時間、久々に活発な議論をして、未だその余韻があるので、頭の整理のためにも、ざざざーっと書いてみようと思う。
(おそらく皆さん既知のコトばっかりかもしれないがご容赦いただきたい所です)


振り返れば今日の議論の内容は、物作りに置ける姿勢。
概ね、「マーケット・イン」か「プロダクト・アウト」の話だったと思う。
でも、自分が一番引っかかったのは、「スクラップ&ビルドで何が悪いのか。それで商品が選ばれるのであれば良いじゃないか」という話。


「マーケット・イン」とは、ご存知の通り、企業が商品開発・生産・販売活動を行ううえで、顧客や購買者の要望・要求・ニーズを理解して、ユーザーが求めているものを求めている数量だけ提供していこうという経営姿勢のこと。
簡単に言えば、“売れるものだけを作って提供する方法”といえる。

一方で、「プロダクト・アウト」とは、企業が商品開発や生産を行う上で、作り手の理論を優先させる方法のこと。
言うなれば、”作り手がいいと思うものを作る”ということですよね。


よく言われるのは、プロダクト・アウトは前時代的であり、昔の大量生産・大量消費がそれに当るということで、現代的であることは、むしろマーケット・インだという話。


確かに。

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就活生が就活で悩んで命を落とす。内容が衝撃的だったのでちゃんと真面目に直視しないと行けないと思った。皆さんはどう考えますかね?

昨年、大学生らの自殺 初の1000人突破 就職失敗で

それに伴う、家入一真さんのフェイスブック書き込み


この事象は僕も直感時におかしいと感じる。

ではおかしい理由は何なのか。

考えられるのは3つ。


就活が人生のすべてを決めると思った本人の思考がおかしいのか。

本人を全く救えなかった周りが悪いのか。

就活が人生の全てだと思わせるように仕掛けた社会が悪いのか。


僕は、誤解を恐れずに言うなれば、正直、前者の二つだと思う。

あまりにも刺激的なので、ちゃんとそう思う理由を書きたいと思います。

思考のままに書くので、少し長くなります。


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建築を学んでいた僕は、建築家の持つ社会的責任について重く捉えられがちなのだろうか。

3647f5c4.jpeg

 

 

マーケットとは「市場」であり、「市場」とは「お客様」である。

ビジネスとは「お客様」にご満足していただける、モノやサービスをより付加価値をつけて提供する。

それはすごく当たり前の話。「お客様」がいるから、自分のビジネスが成り立っているし、自らがご飯を食べ、服を買い、家に住み、生活できているのだから。

 

 

不動産を扱う以上、ご入居していただく、個人や法人の皆様に、ご満足をいただけるようなモノやサービスを付加価値を最大化してご提供したい。その気持ちは当然に変わらない。

 

 

その一方で。

不動産という職業がら、日本のとある地域の歴史の中に、急にポツンと、とある建物を存続させる、という社会的責任がある。
誤解を恐れずに言うならば、それはそのときの街の景観であり、歴史であり、記憶である。

 

 

建物がたった一つであれば、あまり見向きもしないかもしれない。

でもその建物が集積すれば、それは、街並みになる。

 

 

その街並みを感じる人がたった一人なら、それは個人にとっての思い出かもしれない。

でも、その街並みを皆で感じるのであれば、それは大切な記憶になり、牽いては日本の記憶になる。

 

 

そうなんだ。

 

不動産という性格上、発生する開発行為は、一つの建物が与える社会的なインパクトよりも大きいものであるのだ。

 

 

この不動産を扱うということを敢えて「お客様」という観点で話すのであれば。

建物を購入あるいは賃貸している人達だけが「お客様」なのではなくて、その建物が存在することで、ある個人の思い出として記憶される対象者、その全てが「お客様」なのである。

 

 

例えば。

「あの建物の前で待ちあわせね!」とか、

「ライトアップが綺麗なエリアいこーよ」とか、

「あの人がトークショーで来てたよね?」とか。

その建物を事実利用したことなのに、話す人だって対象になりうる。

 

 

そのときに。

「あれが出来たせいで、居心地悪くなったの」とか、

「あのせいで、人が急に街中から消えてしまったの」とか、

「あの建物、世界からダサいと酷評されてたよ」という思い出が綴られたら

ダメでしょう。

 

 

それが建物を作るということであり、街を作るということの、与える影響範囲なんだ。言うなれば「直接的なお客様」も入れば「間接的なお客様」もいる。

 

 

 

ここで、本題。

では、あなたがもし建築家なら、どんな建物を作りますか?

 

私の考えは、次回お話しします。

 

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栃木市に行って来た。
写真は、見上げた、蔵の写真。
重々しい黒い色が、堂々とした佇まいを醸し出す。
e49b1d1c.JPG

栃木市は、「蔵の町」というPRをしていて、5月のこの時期には、「栃木・蔵の街かど映画祭」と称した映画イベントが行われている。今年で5年目。http://kura-movie.jp/

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時折、この言葉を考えることがある。

プロの領域。

仕事とは、プロとプロが対峙して、お互いの強みを活かして、一人では出来なかった領域へと進んでいくことが理想だとして。



一人では出来なかった領域っていうのを見定めるのは難しいことだとも思う訳です。

例えば、一人では持ち上がらなかった岩があったとする。
そこへある人がやって来て、二人で持ち上げたら持ち上がった、という事象が有った場合。

果たして、その二人目の役割とはどんなものだったのか。

もしかしたら。
岩は100kgあって。一人目の背筋力は45kg。差分は55kg。
二人目の背筋力は60kg。ようやく合わせて、100kgが持ち上がる。
という具合だったかもしれないし。

はたまた。
同じく岩は100kgで、一人目の背筋力は20kg、差分が80kg。
もう一人の背筋力は80kg、ぴったり合わせて、100kg持ち上がる。
だったかもしれない。


一つ目のケースだと、結構ギリギリだから、「二人だったらさすがに持ち上がるだろう」と
タカをくくっていて、少しだけ気を抜いていたら、持ち上がらなかったかもしれない。


何が言いたいかというと。
今の二人目の岩を持ち上げる人がその道のプロだと言われているとして。
その道のプロにだけ任せておいて、ことを成せる領域のこともあれば、自分も出来るだけ精一杯やらなければ到達できない領域もあるんではないかということ。


とすれば、その時出来る最大で望んで、プロと一緒にやることも必要なんだろうなと思うということ。
ま、もちろんアマチュアとプロの差が圧倒的に付いているからこそ、プロとして言い放って良いことも有るけれど。

以外と世の中は、プロを名乗るハードルは低くて、プロと見られるハードルは高いもの、な気がします。

とにかく、出来る精一杯は目指したい。そして、プロとして名乗るのであれば、アマチュアと圧倒的な差が付けられてからプロというべきなんだろうと思う。

自分は、いったいどの分野でプロを名乗れるか。それをなおいっそう意識していきたい。



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