- あなたが買い求めようとしているものは環境にとって良いものですか?
- (2013/05/29)
- 就職失敗で命を落とす大学生のニュースを見て思うこと
- (2013/04/16)
- 消費材ではない建物 その1
- (2012/06/03)
- 14万人の町 -栃木市-
- (2012/05/20)
- プロの領域
- (2012/03/07)
就活生が就活で悩んで命を落とす。内容が衝撃的だったのでちゃんと真面目に直視しないと行けないと思った。皆さんはどう考えますかね?
この事象は僕も直感時におかしいと感じる。
ではおかしい理由は何なのか。
考えられるのは3つ。
就活が人生のすべてを決めると思った本人の思考がおかしいのか。
本人を全く救えなかった周りが悪いのか。
就活が人生の全てだと思わせるように仕掛けた社会が悪いのか。
僕は、誤解を恐れずに言うなれば、正直、前者の二つだと思う。
あまりにも刺激的なので、ちゃんとそう思う理由を書きたいと思います。
思考のままに書くので、少し長くなります。
まず社会は、さほど就活が人生の全てとは言っていない。
少なくともマスメディアはそうは訴えてないはずで、多様な価値観を認めるように主張してる。
もし言うなれば、義務教育以外の教育機関や、勝敗をつけたがる塾的なもの、あるいは自己啓発の書籍ぐらいなものか。それらが発しているぐらいで、社会全体から見れば、そういった主張をする人だって、そこまで充分にマイノリティ(少数派)だってことだ。
あるいは、刺激的な政治家はそういうことを言ったりもするかもしれないかな。
だとすれば。
まず考えられるのは、ここでいう対象就活生が捉えている“社会”が狭い、っていう問題があると思う。
その“社会”においては、全員が就活が全てだと主張していたのかもしれない。
あるいは、本人が社会はそれだけではないと気付けない環境に没頭してしまうことが悪いのかもしれない。
さもすると。
対象就活生が世界を開拓しなかったこと、視野を広げなかったこと、周りがそれの支援をしなかったことが、きっと良くないのではないかと思うんです。
一度話を変えて。自分の体験にすごく距離を近づけて話をすると。
色んな辛いことがあっても「大丈夫だ、どうせ死ぬ訳でもないし」と極端に考えることがある。
それは、どこかで無意識的に近いカタチで、自分は死ぬことが世界で最も嫌なことだと思い込んでいるからだ。
今回の就活生は、上記の僕の考えとは異なり、死ぬことと、就職できない世界で生きることを天秤にかけたときに、死を選んだということになる。
この思考回路は、少し悲しいもので。なんでそうなってしまったんだろうとさえ思う。
正直僕自身も人生において、一回以上は「死」が頭をよぎったことはあるさ。でもそれを止める思考回路、臆病さ、は持ち得ていた。死ぬことは嫌だから。
まとめると。
本人があまりにも社会を狭めすぎている、あるいは周りがちゃんとそれを気付かせて挙げられていないこと、また、死があまりにも簡単な選択肢になっていること、それが問題なんだと思う。
さて、ここまで書いてみて、一つ議論しないと行けないことに気付いた。
ニュースの記事を見ると、「自分には価値が無い」と思っている、ということだ。
確かに。自分には価値が無いと思うととーーーっても辛い。
生きる意味を見失ってしまう気にもなる。
先程は社会はあまり悪くないと行ったけど、もし仮に、就職活動上で「あなたには価値が無い」と就活生に断りを入れているようなら大問題だと思う。
そんな最後通告を、20社も30社も40社も聞いたら、どんな正常な人だって、通常の思考回路が保てなくなるからだ。
“価値”とは、誤解を恐れずにいうなれば、人の役に立つということか。
そして、役に立つとはその人自信が出来ないこと、あるいはその人の周りの人が出来ないことを、自分がやってあげられること。かな。
でも、僕は、人には全て価値はあると思っている。
さっき定義付けした“価値”という基準であれば、人が有り余っているような場所=都市だと、どーしても競争関係になる。
その競争関係が無い場所=(例は極端だが)高齢者ばかりで動くことが容易でない場所に若者が行けば、その人が居れば、とてつもない価値が生まれると思う。
それに、「親」からすれば、その息子、娘が生きているだけで、「親」として生きる意味が生まれ、それだけで十分な「価値」を生んでいるんだと思う。
最終的に、ここまで書いてみて、個人的に感じていること。
「就活生はあまり社会を狭めて考えないで」
「就活生は死を簡単な選択肢にしないで」
「就活で人を選別するということは人の思考回路を狂わせる可能性があるから充分に注意して」
皆さんはどうお感じでしょうか。