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建築を学んでいた僕は、建築家の持つ社会的責任について重く捉えられがちなのだろうか。
マーケットとは「市場」であり、「市場」とは「お客様」である。
ビジネスとは「お客様」にご満足していただける、モノやサービスをより付加価値をつけて提供する。
それはすごく当たり前の話。「お客様」がいるから、自分のビジネスが成り立っているし、自らがご飯を食べ、服を買い、家に住み、生活できているのだから。
不動産を扱う以上、ご入居していただく、個人や法人の皆様に、ご満足をいただけるようなモノやサービスを付加価値を最大化してご提供したい。その気持ちは当然に変わらない。
その一方で。
不動産という職業がら、日本のとある地域の歴史の中に、急に“ポツン”と、とある建物を存続させる、という社会的責任がある。
誤解を恐れずに言うならば、それはそのときの街の景観であり、歴史であり、記憶である。
建物がたった一つであれば、あまり見向きもしないかもしれない。
でもその建物が集積すれば、それは、街並みになる。
その街並みを感じる人がたった一人なら、それは個人にとっての思い出かもしれない。
でも、その街並みを皆で感じるのであれば、それは大切な記憶になり、牽いては日本の記憶になる。
そうなんだ。
不動産という性格上、発生する開発行為は、一つの建物が与える社会的なインパクトよりも大きいものであるのだ。
この不動産を扱うということを敢えて「お客様」という観点で話すのであれば。
建物を購入あるいは賃貸している人達だけが「お客様」なのではなくて、その建物が存在することで、ある個人の思い出として記憶される対象者、その全てが「お客様」なのである。
例えば。
「あの建物の前で待ちあわせね!」とか、
「ライトアップが綺麗なエリアいこーよ」とか、
「あの人がトークショーで来てたよね?」とか。
その建物を事実利用したことなのに、話す人だって対象になりうる。
そのときに。
「あれが出来たせいで、居心地悪くなったの」とか、
「あのせいで、人が急に街中から消えてしまったの」とか、
「あの建物、世界からダサいと酷評されてたよ」という思い出が綴られたら
ダメでしょう。
それが建物を作るということであり、街を作るということの、与える影響範囲なんだ。言うなれば「直接的なお客様」も入れば「間接的なお客様」もいる。
ここで、本題。
では、あなたがもし建築家なら、どんな建物を作りますか?
私の考えは、次回お話しします。