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人生とは切り口を見いだすことである。 すなわち意味を探す旅だ。 間違う事だってある。 それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。 人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。 恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
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 大学4年のときに、自分はコミュニティ及びコミュニケーションに関して興味が絶えないことを自覚した。


思い起こせばルーツはある。

幼稚園、小学校、中学校と転校を繰り返した。
物心がまだ未完成な小学校までは、単純に友達が増えれば楽しいと考えていた。

しかし小学校高学年になるにつれて、幼稚園からの繋がりのある周りの友人をうらやましく思うことがあった。そんなこともあって、小学校へ転校してくる人にはまず第一に声をかけようと考えていたし、そう行動していた。

中学校になって転校して、自分の今までの過去を全く知らない人たちにどうやって話しかけるか、溶け込めるのか。ここでは書ききれないほどの心の葛藤と悩みを抱えていたのを覚えている。


端的に振り返れば、こうやって痛みを知ることから相手の気持ちを考える思考が生まれ、交流及び交流行為の大切さを知っていると言えるし、現在の私の切っては切れない思考の根幹をなしている。


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 いよいよディベロッパーとしての新生活が始まった。

今できる範囲の想像を目一杯しながら、それと外れること、外れていないことを見極めて、自分の想定力の実力を思い知らされながら、噛みしめながら、一つ一つの新しい出会い、知識と戦ってる。

早速気づかされた、反省点は、権力とそのオーラに弱いこと。
簡単に言えば、それにたじろいでしまうということ。本番への弱さとも言えるかもしれないが、いやそうではない。今まで、本番に対して頑張ってこれたから。

単純に、権威のある人の前で弱い。恐れ多い、びびる。そういうことかな。
完全に自分よりかけ離れたすごい人に対してどうしても弱い。これが直せるように場を踏みたい。


今、たまたま「1995年以後」という本を読んでて。
レムコールハースが「S M L XL」で建築はある一定規模の計画になったら、経済論理、マーケット論理に敗北するといった様な趣旨を書いていたが、そんな最近の議論を受けてか、今活躍の若手の建築家が藤村龍至さんを中心に対談をしている。
その中では、大中小ディベロッパーと建築家や、大学と建築家、アトリエ系建築家などの話が横断的に行われている。

その中で行われる対談の中に一節にこんな言葉があった。

「現役の設計者やディベロッパーの人も、実際に仕事で付き合ってみると、全員が商業主義に染まっているかというと必ずしもそうではない。何気ないマンションにしても、郊外の薄っぺらい建物にしても、必ずどっかの建築家や専門学校を出た建築の専門教育を受けた人が設計しているはずで、その人たちがどういう思想を共有するかはやっぱりとても重要だと思うんです。」


何気ないや薄っぺらいなど、語気は強いが共感できるところが無いわけでもない。本当にしっかりと見極めていきたい。そう思う。

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PLB_grid.gif
Title:

Park Loves Books
ー都市公園に図書館をプラスするー

Site:東京都渋谷区
Year:2005


Main Theme:
景観・環境を維持、都市のアメニティ向上




ジャンル:設計/コンペ/グラフィック/プロダクト/展示会/出版物/企画・構想/ワークショップ
スケール:0.5㎡⇔1㎡⇔100㎡⇔500㎡⇔1000㎡⇔0.5ha⇔1ha⇔5ha⇔100ha⇔Japan⇔Outside

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1_12_grid.gif
Title:

1/12が丘[Jyuni-bunno-ichi ga oka]

Site:モデルサイト
Year:2007



Main Theme:
交流単位に基づく高層住宅、交流促進のための空間の可視化




ジャンル:設計/コンペ/グラフィック/プロダクト/展示会/出版物/企画・構想/ワークショップ
スケール:0.5㎡⇔1㎡⇔100㎡⇔500㎡⇔1000㎡⇔0.5ha⇔1ha⇔5ha⇔100ha⇔Japan⇔Outside

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学部時代、建築経営論という授業があった。
そこでは毎回の授業の最後に、即興で小論を書かされて提出していた。
その手記が最近見つかったので、若輩者が印象だけでいろいろ吠えてたなぁ…と顧みるのにもいい機会だとして、ほぼ原文のまま(少々加筆するかも)ここにもいくつか記録しておくことにする。



ー「なぜこの建物があるのか」という問いに対してー

なぜこの建物があるのか。と言われて私がすぐに思い付くのが歌舞伎町などの街の在り方である。
そう、いわゆる歓楽街だ。

人の欲望というのは良くも悪くも”何か”を働きかける。人の行動のための見えない促進剤である。良く働くときは例えば「夢」と言い換えられ、悪く働くときは例えば「エゴ」となりうる。

歓楽街は人の欲望のうちの性的な部分が物体か、建築化されたものであろう。内部は厳に閉ざされるが、打って変わって外装は特にきらびやかに設えられる。その内から外への露出感がなんとも隠喩的案表現に思えてならない。

ではこの種の建物が、界隈が、街が、なぜ存在しているのか。時間の許す限りで考えてみたい。

倫理的に口外しづらい人の欲なる部分としての性欲は、それでも個々人の心に生まれうるものであり、確かに存在する感覚である。それが物質化されることは実はものすごく素直な反応であり、表現であると思う。
しかし、先にも言ったように、口外しづらいという型枠に社会的にははめ込まれている状況があるために、その建築は都市の一部分に集約され密集化する方向へと力学が働く。それは少数では存在しづらくとも集団化することでその存在感を正当化している。

つまりこの場合、人の心理的要素や、社会のルール・規範・倫理感が街の集合や建築の在り方を決定づけており、その建築たらしめていると考えられる。

この話を展開させれば、建築がある理由の一部ないし全体において、人の感情に対する素直な反応とその表現として建築があるのだろう。

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