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人生とは切り口を見いだすことである。 すなわち意味を探す旅だ。 間違う事だってある。 それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。 人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。 恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
2017
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学部時代、建築経営論という授業があった。
そこでは毎回の授業の最後に、即興で小論を書かされて提出していた。
その手記が最近見つかったので、若輩者が印象だけでいろいろ吠えてたなぁ…と顧みるのにもいい機会だとして、ほぼ原文のまま(少々加筆するかも)ここにもいくつか記録しておくことにする。



ー「なぜこの建物があるのか」という問いに対してー

なぜこの建物があるのか。と言われて私がすぐに思い付くのが歌舞伎町などの街の在り方である。
そう、いわゆる歓楽街だ。

人の欲望というのは良くも悪くも”何か”を働きかける。人の行動のための見えない促進剤である。良く働くときは例えば「夢」と言い換えられ、悪く働くときは例えば「エゴ」となりうる。

歓楽街は人の欲望のうちの性的な部分が物体か、建築化されたものであろう。内部は厳に閉ざされるが、打って変わって外装は特にきらびやかに設えられる。その内から外への露出感がなんとも隠喩的案表現に思えてならない。

ではこの種の建物が、界隈が、街が、なぜ存在しているのか。時間の許す限りで考えてみたい。

倫理的に口外しづらい人の欲なる部分としての性欲は、それでも個々人の心に生まれうるものであり、確かに存在する感覚である。それが物質化されることは実はものすごく素直な反応であり、表現であると思う。
しかし、先にも言ったように、口外しづらいという型枠に社会的にははめ込まれている状況があるために、その建築は都市の一部分に集約され密集化する方向へと力学が働く。それは少数では存在しづらくとも集団化することでその存在感を正当化している。

つまりこの場合、人の心理的要素や、社会のルール・規範・倫理感が街の集合や建築の在り方を決定づけており、その建築たらしめていると考えられる。

この話を展開させれば、建築がある理由の一部ないし全体において、人の感情に対する素直な反応とその表現として建築があるのだろう。

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