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人生とは切り口を見いだすことである。 すなわち意味を探す旅だ。 間違う事だってある。 それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。 人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。 恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
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Title:

Folder House
ー 情報分化された住宅 ー

Site:モデルサイト
Year:2007


Main Theme:
情報化時代の住宅、高齢者向けの変化を許容する住宅




ジャンル:設計/コンペ/グラフィック/プロダクト/展示会 /出版物/企画・構想/ワークショップ
スケール:0.5㎡⇔1㎡⇔100㎡⇔500㎡⇔1000㎡⇔0.5ha⇔1ha⇔5ha⇔100ha⇔Japan⇔Outside

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以前、「理想の街づくり」という題で、等身大の自分の意見を書いてみたことがある。
それをご紹介します。



― 120%で応える街 ―

現在日本では、生活、経済、文化レベルは高度に発展し、多様な価値観が認められる成熟した社会を迎えている。しかし、あまりに多様化された社会においては人々が共通の理想郷を描くことが難しく、作り手側も思案の必要があるだろう。では“理想郷”(少し大袈裟だが)は何であろうか。

例えば公共が掲げる理想の街というと“人々が幸せに暮らす豊かな街”のように、とかく抽象的で漠然とした概念で語られることが多いと感じる。いったい“幸せ”とは、“豊かさ”とは何なのか。


以前の私にとって、街とは常に当然にそこに存在するものであった。しかし、建築や都市を学ぶ事を通じて、街は間違いなく人々がその手で作り出して来たものであるということを自覚すると共に、そこでは常に「人」が中心であると気付いた。

ここで言う中心となる「人」とは、決して「自分自身」だけでなく、大切な「相手」も含まれる。そしてその「相手」を思いやりながらの行動が連鎖して、人々の多様な諸活動=日常を創出し、街の多様な表情の根幹を形成していると考えている。

例えば、カップルが寄り添い愛を育むためのカップルシートを作るデザイナー兼製作者、その製作者の父親にもしもの事が会った時に家族を支える保険制度を紹介するフィナンシャルプランナー、フィナンシャルプランナーの日々の疲れを少しでも癒してあげたいマッサージ師、グルメなマッサージ師の情報アンテナをも唸らすグルメ雑誌編集者など。

彼らはそれぞれに場を必要とし、相手や時代が求める活動、活動に見合った建築・都市を形成する。
私はこれらの思いやりの行動から生じる「相手」の反応が、自分の期待通りいった場合に自分も相手も“幸せ”を実感するのだと思うのだ。

また繰り返しになるが、そのような思いやりの行動の連鎖が幾重にも重なる事で街に活動と建築の多様性を生み出し、変化に富んだ“豊かさ”を生み出していると考えている。



以上を踏まえて、私が思い描く理想の街とは
「120%で応える街」である
それはつまり「相手」を思いやって起こす行動に対する反応の期待値を100とした場合、期待以上の120になって返ってくるような演出効果を生む街を指す。
例えば、友人に何かをプレゼントしようとした場合、相手が喜ぶ事を期待している一方で、本当に満足してくれるだろうかと不安に思う事があるだろう。しかし、建物や街並がイルミネーションで彩られ、ムードある音楽がどこからともなく流れるように演出さえた街であれば、相手はただ喜ぶだけでなく感涙を流すかもしれない。当初の不安など吹き飛ぶほどの感動が生まれるかもしれない。このように期待値以上の反応が得られるように演出された街であれば、不安を和らげ相手に対する思いやりの行動が促進されるだろう。さらにその人々の思いやりの行動は連鎖し、街の中のあちらこちらで素敵な瞬間が創出され豊かな街を作り出していけるのだと考えている。


人や人の想いが街を多様に彩り、街が人や人の想いを後押しし行動を促す。この好循環を絶やさないために、街が100の期待値を120へ演出する舞台として働く。そうすれば本当の意味で“人々が幸せに暮らす豊かな街”が実現できるのではないか。それが私の思い描く「120%で応える街」、理想の街である。

ディベロッパーは新しい価値を創出し、人々の生活スタイルを180度変えられるほどの力を持つ。多様な価値時代においても、新しきを生み出す先駆者の気概を持って、開発に臨まなければならない。

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先日、本読みたいと言ってたけど、本読んでしまった。

今日はひっさびさにあんましやる気が起きず…。
どうせならと、存分にぐうたらしましたわ笑


で、さらにどうせなら、たまっていた本を読もうと思って、読んでたんですが。
いわゆる熱血タイプの飲食店経営者の本を読んでたんだけど、
それを見て、改めて自分を顧みて思った。


自分はチームワーク論に関して関心が高いと。本読んでてその辺に特に共感してたもので。
ということで、今日は自分の考え方を若干紐解こうと思うんですが…。



遡ってみれば高校の時。
文化祭を舞台にした、忘れもしない出来事があったんだけど。

クラスの中で、ある企画をやろうと決まったときに、一部の女性陣と、もう一方の女性陣が、運営の仕方というか、意見の相違でもめていて。
「もうそっちがそうやるなら、こっちはやりたくなーい」みたいな感じになっていて。
男性陣ももうそんなんなら別にやんなくてもいいんじゃね?みたいな空気感で。


これはなんとかしないとなぁと。
おそらくは、無関心でほっといた方がもちろん楽っていう状態の時だったんだけど。
自然発生的に責任感が生まれてきて。なんでそう感じるのかはわからない。先天的なものなのかなぁと今では思ってますが。
結局、その全体の間を取り持つ行動を取り、がっつり踏み込んで行ったのを覚えてるんです。


思えば心労の耐えなかったけど、両者とがっつり向き合った気がする。自分なりに。
どっかでワクワクしてたのだとも、今になっては思う。

そして、結局なんとか押し切り、成功とは言えないけど、もがいてみて。
自分的には、一定の達成感を得た。と同時に反省点もあった。
そのときみんながどう思ってたかは定かではないんだけど…笑顔で終われたのかな。


と、まぁ、そんな生き方を繰り返してる気がする。


以前、人に、人が好きなんだねと言われたことがあるんだけど。
その時はあまりわかってなかったんだけど、今なら理解できるし、そうだと思う。
じゃなかったら、今日家に独りでいて、つまんないと思ったり、
人と会ってないとダメだなぁと思えないもんな。


今日は夜寒くなるみたいですね!明日に備えて暖かくして、明日また元気にいきましょい!!

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本が読みたい、と最近ふとしたときに思うようになった。

昔の自分からしたら、うそーんかつまさかそうなるとは、な話で。
でもそれは喜ばしいことだと思っていて。


学生時代、詳しく言えば、学部の2、3年の時は、本は建築の専門書の中でもごく一部しか読んで無かった。専門書とか、それか有名建築家の作品集か、著書か。
それこそ、安藤忠雄、伊東豊雄、ル・コルビュジェ、フランクロイドライト、原広司…、そんなラインナップで。
しかも、その読む期間は一定期間しか続かなかった。

それよりも、街に歩いて入って。観察して。
ノート片手にカフェに入って、街ゆく人を見ながら、頭をフル回転させて、がーっと書き殴る方が好きだった。自分でも感心できるほどの集中力がそんときに出る。
風呂につかって、ゆるりと考えを巡らせるのが好きだった。
そして、ブレイクスルーを迎える一瞬が楽しいもんで。ルイスカーンで言えば、暗中模索しているときに見える一縷の光で、茂木さん風に言えばアハ体験。


ただ、最近、本を読んで得た知識を即行動に移す方法が分かってきたおかげでなのか、読むのが楽しくなってきたなーと。
そして、以前だったら。
本で得た知識さえそのほとんどを疑って、多方面から検証しなければ行けなかったけれど。最近になって(まだ未熟ながら)、これはイケる、イケてないの判断の精度が増してきたように思う。

言い換えれば、ヌルヌルのぬかるんでた地盤が、経験を積んで踏み固めたおかげで、踏ん張りが効くようになってきたんだと思う。



本と言えば。
最近勝手に似てるなぁと思ってる人に、K間さんとM木さんがいて。
もちろん色んな著作を読ませて頂いています。
K間さんで言えば、フレームワークの本とか。M木さんで言えば、脳関連の。
で、何が似てるって言うと、仕事のやり方というか、知識の蓄積の仕方というか、自分の成長戦略のサイクルかな。

色んな人と会い、本を読み→膨大な知識を入れて→知識の定着を目的に書き記す=本にするっていうサイクル。
そして、その本ってのが、どちらかと言えば、質より量主義で。
とにかく、短期サイクルでインプットとアウトプットを繰り返せばいいという主張を、個人的にはその本から感じてる。

でも、正直ちょっとやだなーって思ってたりする部分があって。
平たい言葉で言うと、それってずるくない?みたいな。
一方で、短期サイクルで、最新の情報をアウトプットする、重心が自分の成長戦略に置かれてる、本の執筆の仕方と。
一方で、長年の研究成果や、積年の経営術や、マネージメントノウハウを満を持して執筆する本。

…なんだかなぁーと。思ってたりする。
ただ、その二人で言えば(本当個人的にですけど)、M木さんの方が好きかなと。

きっとおれ自身が、一定部分、科学信仰者だからだろうな。


と、まぁこんな風に、本を読むことから、ひいては自分の考え方を見つめ直し、比較して削り取られて残る、本質的な自分を探しているんだろうと思われる。
なんて、堅い話になりましたが(笑)



今日もM木さんの本を読んでて共感したのは。
「歴史を忘れる者は、それを繰り返す羽目になる」に対する、茂木さんの考えで、
「歴史を学ぶことの意義は過去に起きたことをもとに、未来を予想し、想像することにある」ってことと。
情報番組が、視聴者の知らないとっておきの情報を伝えるという崇高な目的から、いつしか、視聴率やスポンサーなどの要望が絡み合って、俗悪化したことを引き合いに出して、「知は…中略…自己完結したものには意味がない。価値のある「知」を手に入れるには、人と人との関わりの中で育てていかなければならない」っていう話と。
人間の魅力に関する話で、「お金持ちはお金をもってることで尊敬されるかも知れません.見た目が美しく羨望の目で見られることもあるでしょう。でもそれだけの話です。たとえば人生の大きな岐路に立たされた時、何としても助言を受けたいと思われるような人、そんな人が、本当の人間的魅力を備えた人だと思います。」って話。


なかなか、こんな風に引用文を載せることは無いんですが笑
ちょっと印象的だったんで。
あー、また本が読みたいと思いながら、とりあえず勉強をしよ。

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グルメ/美食家って訳ではない。

紹介できるおいしい店を探したい。
そんな動機で、記録します。

■山口下関の「ふくの河久」のふぐ刺しぶっかけ丼
山口県の下関には、カモンワーフ、唐戸漁港という、一般に開放されて
観光地化している漁港がありました。ここは楽しすぎる、新鮮なウオがとにかくたくさん。
売り手の人の人なつっこい掛け声で、寄ってけ買ってけ的な活気がすごいです。

養殖のふく(ふぐ)ですが手頃な値段でふくが食べられるということで、人気のお店。
すっぱおいしい丼です。オススメできます。

IMG_0524.jpg

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