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人生とは切り口を見いだすことである。 すなわち意味を探す旅だ。 間違う事だってある。 それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。 人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。 恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
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あんまり人に話したこと無い話だし、我流すぎて。良いか悪いかもわかってない。現在進行形で良いか悪いかは振り返り中のことなんですが。


新書とか、何かの専門書とか、考え系の本とか読むことが有るんだけど、あまり小説は読まないんです。半年に1回読むか読まないかくらい。

っていうのも、内容を楽しみきれない所があって。なぜならば、書き手の気持ちになって、分析的に読んでしまってストーリーにのめり込めなくなるから。
例えば、これは後の話のための伏線だなとか。しつこくその伏線繰り返し多用しててどうにか記憶科させたいんだなとか。文頭に「」を持ってきて印象的にしてるなとか。
っていう風に、左脳ばっかしつかうから、のめり込めない…。悲しいサガ的なところがあります。



でも、一時期はまってたことがあった。それは、小説の捉え方を、今を生きる人たちの考え方を知るための、文字媒体と捉えなおしたからだ。
小説を書く人はかなり、寡黙にあるいは交流を経て、人々の感情の動きや、行動様式を観察してる。小説に出す登場人物像をリアルに描くためであり、それが人々の共感を生み小説の世界に入り込みやすいからだ。
そー考えると、小説がたまに読みたくなってくる。


それともう一点。感情を磨くということだ。
先に書いたように、かなりの観察眼を持っている小説家の方々が描くストーリーには、右脳が揺さぶられる。感情に起伏を生み出してくれる。どちらか と言えば、普段から人と接するときは平常心を維持できるように“鍛えて”きた。ともすると、あまり感情が前にでず、時に、ただの冷たい男なんじゃないかと 思うことがある。
そんなときに、小説を読む。ちゃんと感動することが出来るか確かめる。そうやって感情に起伏を生むことで、感情を“鍛え”上げる。


その役割は、自分の中では映画に担ってもらってて。映画を見るときは感情優先。何がみたいか、どんな感情、気持ちになりたいか。そんな事を考えて映画を見て、ほほえみ、泣く。そんな気持ちで継続的に映画は見るようにしてます。



今日も映画「イキガミ」に心バッサバッサ揺さぶられました。
オトナになると涙もろくなるといいますが、着実にそのような道を歩き始めてる、そんな気がします。

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