人生とは切り口を見いだすことである。
すなわち意味を探す旅だ。
間違う事だってある。
それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。
人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。
恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
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先日、佐賀県有田に行って来た。
写真はその時の一枚。
結構遠くって時間もないから、タクシーを駆使して到着。
それでも最近地方の活性化に興味が有るから、この眼で見たくてしょうがなかった。
駅でロッカーに荷物を置いていたら、あるおじさんに声をかけられた。
その名を「梶原」さんと言う。
写真はその時の一枚。
結構遠くって時間もないから、タクシーを駆使して到着。
それでも最近地方の活性化に興味が有るから、この眼で見たくてしょうがなかった。
駅でロッカーに荷物を置いていたら、あるおじさんに声をかけられた。
その名を「梶原」さんと言う。
聞けば、ボランティアで町の観光名所を案内しているらしく、
「2時間ぐらいでコース回ってあげるよー。」って。
無料でいい、車で行くよ、なんていうから。
それが最初はなんだか怪しいかなぁなんて思いつつも、えいや!で付いて行くことにした。
軽自動車に乗り込むと、早速色んなことを教えてくれる。
「今まで2500人位の人を案内しているんだよー」
「こないだはフランス人の観光客を8時間案内したよー」
「韓国人も来たけど、ジェスチャーでなんとかなるもんだよー」
「今66歳だよー」
「もう18年になるよー」
彼の話は必ず語尾が伸びる。そこがなんだか愛嬌がある。
語る姿は活き活きしてる。外国人がこようと物怖じしないみたいだ。
66歳か、リタイアしてからやってるのかなぁと思ったら、昔から続いているみたいだ。
話は続く。
「助手席にマザーテレサの写真を飾ってるんだよ。」
「今まで2度病気になった時に病室に現れて、助けられたんだよ」
「だから、僕も良い事をしていたらいつか自分にも良い事が帰ってくると思ってやってるんだよ」
この話を聞いて思った、この人は本当に善意でやっているんだと。
そんな話をしながら、車は色んなスポットへ。 400年の歴史を持ち、今は使われていない掘削所。
1000年も生きる大イチョウが有る所。
陶山神社という、有田焼で出来た鳥居や狛犬が有る所。
トンペイ塀という磁器を生産する時に出る廃棄物を利用した昔ながらの塀が並ぶ所。
梶原さんはとっても詳しくて、磁器と陶器の違い、有田焼のルーツ、人間国宝の話。
とても魅力的に話してくれた。
「柿右衛門って名前は、柿のような朱色の色を発明したからなんだよー」
「あの人の作品には、柔らかさがあるんだよー」
一方で、随所に有田焼を抱える有田という町の現状を嘆く言葉が出てくる。
いや、性格に言うと、最初に車に乗り込んで開口一番がそれだった。
「有田の町は今、中々売れなくてねぇ、厳しいんだよー」
「一杯有田焼のお店が有るんだけど、どこも厳しいんだよー」
「観光の人も中々、昔程来ないしねー」
こちらからも質問をして、話を聞いていると、こういう事のようだ。
有田焼は高い。僕が実際見た人間国宝の有田焼は小さい小鉢でも3万円。
まぁそれは希少価値がそうさせてるから良いとして。
ここでいう高いというのは、100均とかで器が購入できる時代に
人の手間暇かけて、芸術性の高い絵や装飾を施した器は、比較してどうしても高く映る。
要は嗜好品だ。
ただし、あの町は、やきもので出来た町である。
そこに住まう人の職はやきものなのだ。
昔は周りに、有田焼の素材である土が取れていた。だからこそその場に有田焼が有る。
今では、土は少し遠方から仕入れているようだ。
やきものが売れないことは、言わば致命傷だ。
つまり、町の人が生きるためには、観光に訪れてくれた人たちに
如何に有田焼のファンになってもらうかなのだ。
有田焼をよく知ってもらう、触れてもらう、理解してもらう。
結果、購入していってほしい。
おじさんは、自分は無償で、その生産者の想いと、突然の訪問者の距離を埋めるために
精一杯、有田焼の良さを知ってもらおうと、触れてもらおうと、理解してもらおうと
してくれた。
結果、購入するかは、その人次第というスタンス。
まぁ「時間がないからなんか選ぶんだったら今のうちだよー」ってくらい
微小なプレッシャーは有ったけど。
結局、僕はおじさんへの感謝の心も相俟って、自分の有田焼を購入した。
ストーリーを持ち得たこの焼酎カップには、愛着が宿ってる。
ここで考えたのは、地方都市の行く末。
日本の中でも有数のブランド力を持ち得る、有田焼。
そこでも、住まう人にはある危機感が有り。実際に町中での業者の自然淘汰が起こってる。
人口2万人の地域において、この日本を代表するブランドを抱えていることは大きな幸福だ。そのはずだ。
その地域に置いても、結構な閉塞感が漂っている。この事実は衝撃的で。
その他の地域はどうなるんだと、少し呆然としてしまった。
おじさんの行動をちょっと過ぎた言い方をすれば、町の人のために有田焼を売ろうと必死なんだ。
どうやって、来てくれた人に有田焼を買ってもらうか。ということに行動は向いている。
その証拠に最後のコースは有田焼団地だったし。http://www.arita.gr.jp/
言い方は悪いが、本当にパーフェクトな営業だったと思う。
ただし、誤解してもらいたくないから声高に言うけど。
彼には奥深い愛がある。
自分のいつもお世話になっている有田の町の人を助けたい。
有田焼を守りたい。こんなに良いものをみんなに知ってもらいたい。
66歳になった今、自分の出来ることから色んな人の役に立ちたい。
みんなと触れ合っていたい。
ある瞬間に、おじさんは寂しそうに言っていた。
「みんな『また来たい!』って言ってくれるんだけど、一人も来てもらったことないんだよー」
最後、車を降りたとき、何か感謝したくて、自然と握手を交わしていた。
本当は言葉が詰まるくらい、心が熱くなってたんだよ。おじさん。
「2時間ぐらいでコース回ってあげるよー。」って。
無料でいい、車で行くよ、なんていうから。
それが最初はなんだか怪しいかなぁなんて思いつつも、えいや!で付いて行くことにした。
軽自動車に乗り込むと、早速色んなことを教えてくれる。
「今まで2500人位の人を案内しているんだよー」
「こないだはフランス人の観光客を8時間案内したよー」
「韓国人も来たけど、ジェスチャーでなんとかなるもんだよー」
「今66歳だよー」
「もう18年になるよー」
彼の話は必ず語尾が伸びる。そこがなんだか愛嬌がある。
語る姿は活き活きしてる。外国人がこようと物怖じしないみたいだ。
66歳か、リタイアしてからやってるのかなぁと思ったら、昔から続いているみたいだ。
話は続く。
「助手席にマザーテレサの写真を飾ってるんだよ。」
「今まで2度病気になった時に病室に現れて、助けられたんだよ」
「だから、僕も良い事をしていたらいつか自分にも良い事が帰ってくると思ってやってるんだよ」
この話を聞いて思った、この人は本当に善意でやっているんだと。
そんな話をしながら、車は色んなスポットへ。 400年の歴史を持ち、今は使われていない掘削所。
1000年も生きる大イチョウが有る所。
陶山神社という、有田焼で出来た鳥居や狛犬が有る所。
トンペイ塀という磁器を生産する時に出る廃棄物を利用した昔ながらの塀が並ぶ所。
梶原さんはとっても詳しくて、磁器と陶器の違い、有田焼のルーツ、人間国宝の話。
とても魅力的に話してくれた。
「柿右衛門って名前は、柿のような朱色の色を発明したからなんだよー」
「あの人の作品には、柔らかさがあるんだよー」
一方で、随所に有田焼を抱える有田という町の現状を嘆く言葉が出てくる。
いや、性格に言うと、最初に車に乗り込んで開口一番がそれだった。
「有田の町は今、中々売れなくてねぇ、厳しいんだよー」
「一杯有田焼のお店が有るんだけど、どこも厳しいんだよー」
「観光の人も中々、昔程来ないしねー」
こちらからも質問をして、話を聞いていると、こういう事のようだ。
有田焼は高い。僕が実際見た人間国宝の有田焼は小さい小鉢でも3万円。
まぁそれは希少価値がそうさせてるから良いとして。
ここでいう高いというのは、100均とかで器が購入できる時代に
人の手間暇かけて、芸術性の高い絵や装飾を施した器は、比較してどうしても高く映る。
要は嗜好品だ。
ただし、あの町は、やきもので出来た町である。
そこに住まう人の職はやきものなのだ。
昔は周りに、有田焼の素材である土が取れていた。だからこそその場に有田焼が有る。
今では、土は少し遠方から仕入れているようだ。
やきものが売れないことは、言わば致命傷だ。
つまり、町の人が生きるためには、観光に訪れてくれた人たちに
如何に有田焼のファンになってもらうかなのだ。
有田焼をよく知ってもらう、触れてもらう、理解してもらう。
結果、購入していってほしい。
おじさんは、自分は無償で、その生産者の想いと、突然の訪問者の距離を埋めるために
精一杯、有田焼の良さを知ってもらおうと、触れてもらおうと、理解してもらおうと
してくれた。
結果、購入するかは、その人次第というスタンス。
まぁ「時間がないからなんか選ぶんだったら今のうちだよー」ってくらい
微小なプレッシャーは有ったけど。
結局、僕はおじさんへの感謝の心も相俟って、自分の有田焼を購入した。
ストーリーを持ち得たこの焼酎カップには、愛着が宿ってる。
ここで考えたのは、地方都市の行く末。
日本の中でも有数のブランド力を持ち得る、有田焼。
そこでも、住まう人にはある危機感が有り。実際に町中での業者の自然淘汰が起こってる。
人口2万人の地域において、この日本を代表するブランドを抱えていることは大きな幸福だ。そのはずだ。
その地域に置いても、結構な閉塞感が漂っている。この事実は衝撃的で。
その他の地域はどうなるんだと、少し呆然としてしまった。
おじさんの行動をちょっと過ぎた言い方をすれば、町の人のために有田焼を売ろうと必死なんだ。
どうやって、来てくれた人に有田焼を買ってもらうか。ということに行動は向いている。
その証拠に最後のコースは有田焼団地だったし。http://www.arita.gr.jp/
言い方は悪いが、本当にパーフェクトな営業だったと思う。
ただし、誤解してもらいたくないから声高に言うけど。
彼には奥深い愛がある。
自分のいつもお世話になっている有田の町の人を助けたい。
有田焼を守りたい。こんなに良いものをみんなに知ってもらいたい。
66歳になった今、自分の出来ることから色んな人の役に立ちたい。
みんなと触れ合っていたい。
ある瞬間に、おじさんは寂しそうに言っていた。
「みんな『また来たい!』って言ってくれるんだけど、一人も来てもらったことないんだよー」
最後、車を降りたとき、何か感謝したくて、自然と握手を交わしていた。
本当は言葉が詰まるくらい、心が熱くなってたんだよ。おじさん。
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