人生とは切り口を見いだすことである。
すなわち意味を探す旅だ。
間違う事だってある。
それでも自分で物事を切り取り、判断し、進んでいかないと行けない。
人生を振り返るとそこにあるのは独自に切り開いて来た、その跡なんだろうと思う。
恥じず、めげず、果敢に物事を見いだしていきたい。
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「施設運営って監督業だ」と時にいう人がいて、自分自身そう思っていたけど、実際のスポーツの監督ってそんな生半可なことではなく、自分の思い描いていた監督像の甘さを痛感した。
先日、ひょんな事から、高校生のバスケの全国大会を見る機会があって。そこで真剣にプレーをする高校生たちを見て、呆然としてしまった。いや、見た目には呆然としていたかもしれないが、実は心の中では今までの甘い考えを恥じていた。何故ならば、監督業が今の自分に勤まると思っていたからだ。
最近特に大学時代スポーツをがつがつにやってきた友人が多いから、なおさら恥ずかしい思いだった。
と一度、凹んだが。
その原因を追及してみた。
考えるに…
先日、ひょんな事から、高校生のバスケの全国大会を見る機会があって。そこで真剣にプレーをする高校生たちを見て、呆然としてしまった。いや、見た目には呆然としていたかもしれないが、実は心の中では今までの甘い考えを恥じていた。何故ならば、監督業が今の自分に勤まると思っていたからだ。
最近特に大学時代スポーツをがつがつにやってきた友人が多いから、なおさら恥ずかしい思いだった。
と一度、凹んだが。
その原因を追及してみた。
考えるに…
コートに出ている全員が勝ちたい気持ちであることを前提に、それでも相手に一つ一つのプレーで圧倒的な力の差を見せつけられた場合、自分チームメイトにどう声をかければイイか、自分には答えがない。
その状況を打開しようとして、自分の最も勝負出来るスキルで勝負が、それでも叶わなかったメンバーに対して、どう声をかけるのか、自分には答えがない。
そんな状態で、監督が出来てるなんて思い違えるとは自分、何事で何様か。自分に憤りを感じると共に恥らう気持ちだった。自分に指導する資格があるかどうか、いや、ないだろうと思った。
話は変わるけど、自分とスポーツの関係を少し。
スポーツとは、勝つか負けるか、の象徴的な存在と捉えている。その結果はまさに白黒別れるようにハッキリ明示される。プレー中の一分一秒の思考、行動が大変重要な意味を持ち、準備やその積み重ねが本番の結果となり現れる。
自分自身スポーツはやってきた。とはいえ自慢するほどではない。内容も野球と卓球という極端な二つ。しかし、共通点と言えば、比較的個人プレーでやってきていたんだろうということ。
卓球は言わずもがな個人プレーだ。自分の身振り手振りがどう変化すれば、相手も取れない強い打球が打てるとか、足腰を鍛えればもう少し守備範囲が広まるとか。
野球がだって、戦う時はほとんどが一対一なのだ。 バッター対ピッチャー。そして、ボールが飛んで来た時にどう判断してどう身をこなすかを考える野手。
対して、サッカーもバスケもラクロスもバレーボールもチームプレーで、かつ止まらない流れの中で戦っている。チームプレーの競技の場合、全体の利益のために、常に動きっぱなしの有限の時間の中で、間違いなく結果を生み出さなければならない。息を吐く間もない中で最大のパフォーマンスをすることを要求されている。これってとてつもなくメンタルが強くないと出来ないことのように思う。特に野球や卓球等の小休止のあるスポーツと比較して。
ただし、スポーツのその環境下は、現実世界において、特に特殊性を帯びたカテゴリーだと思う。
日常空間とは言い難い。(無論それを職業としている人であれば別だが)
日常空間では、失敗したって良い、いつだって挽回は可能だから、と慰めたりしますよね。
でもそんな日常空間とは言えないかもしれないスポーツからの教訓はとてつもなく多い。それは一般的に世間でもそう思われているし、実感としてもそう思う。
そのうちの重要な要素の一つに、本番で自分の最大限の力を発揮するためのメンタルをどうしたらいいかを教えてくれていると思う。その集中力や、逆境での心の持ち様、チームビルディングの仕方等々だ。
自分にはこの部分が圧倒的に足らない。それに気付かされたのだ。ここ3年間の自分を振り返って特にそう思う。高校生たちの真剣な眼差し。真剣故に、自分だったらどう指導できるかできるか、励ませるか。それに真剣に考えさせられた。かつ出来ないから恥じたのだ。
ではビジネスや実社会はどうなんだ、と。
2種類有ると思う。
期が来たときに最大限に振る舞える人、その機自体を作ることが出来る人。
自分は後者でありたいと思う。新しい流れを現実世界に作りたいのだ。ともすれば、スポーツとは本質的に違うかもしれない、スポーツとはもう既に出来ている枠組みだ。そこで勝ち負けを争う戦い。そう考えると、そう考えていたら少し最初の恥じらいの気持ち、監督業への誤認の気持ちは落ち着いて来た。
ここで、いったん本旨を離れて落ち着いてみる。
自分なりのリーダシップとはなんなのか。スポーツの監督業もある種特殊性があるのではないか。
EQ(心の知能指数)の提唱者であるダニエル・ゴールマン氏が分析したものによるとリーダーシップは6つに分類される。
●ビジョン型リーダーシップ
…組織に属する者全てに自分の夢やビジョンを語って共感を呼び起こし、組織を1つにまとめるために有効に機能するタイプ。
●コーチ型リーダーシップ
…組織に属する者個々人と充分コミュニケーションを図り、各人の長所や短所を把握した上で、部下の能力を最大限に引き出していくタイプ。
●関係重視型リーダーシップ
…組織としての目標を達成する活動よりも組織の人間関係に重点を置いて、組織間のコミュニケーションを密にして結束力を高めていくタイプ。
●民主型リーダーシップ
…リーダーは決断する際に組織の属するメンバーに広く意見を求め、メンバー全員のコンセンサスを取ってから行動に移るタイプ。
●ペースセッター型リーダーシップ
…リーダー自らが率先して成果を上げて、部下の手本となることを目指すタイプ。
●強制型リーダーシップ
…リーダーは部下自らが考えて行動する余地を与えず、全ての状況において部下の行動をコントロールするタイプ。
参考:どんな逆境でもダントツの成果を出す6つの「自分戦略」阿部徹也著
自分の現在の得意分野は、民主型リーダーシップ。ただし、それの欠点はスピード感を失うということ。加えて、メンバーの大半が未熟であった場合は、リーダーシップが無駄になったり、組織のミスリードにつながると言います。
自分が目指したいのは、このリーダシップの強みを活かしながら、ビジョン型リーダーシップやコーチ型リーダーシップの手法を学び、楽しく、強い連携をつくること。それには自分一人では出来ないのかもしれないと気付いた。
相手の気持ちがわかるためには、自分が同じことを経験していなければならない。その経験が自分に十分に足りているとは言えない。ことスポーツにおいてはそうだろう。積み重ねられて来る一つ一つの得点に対して徐々に点差が差開いて来ることに対して、どう精神を保つのか、それは訓練してないと人に教えられない。
しかし、現実世界は全部自分で知っておくことなんて不可能だ。間違いなく言い切れる程に不可能だ。
うん、やる気出てくる。ハードルは高い方が燃えるタイプ。
スポーツをがっつりやっていなかったけど、そういう負けず嫌いのメンタリティは持ち得ています。
そんな28歳始めの気付き。
その状況を打開しようとして、自分の最も勝負出来るスキルで勝負が、それでも叶わなかったメンバーに対して、どう声をかけるのか、自分には答えがない。
そんな状態で、監督が出来てるなんて思い違えるとは自分、何事で何様か。自分に憤りを感じると共に恥らう気持ちだった。自分に指導する資格があるかどうか、いや、ないだろうと思った。
話は変わるけど、自分とスポーツの関係を少し。
スポーツとは、勝つか負けるか、の象徴的な存在と捉えている。その結果はまさに白黒別れるようにハッキリ明示される。プレー中の一分一秒の思考、行動が大変重要な意味を持ち、準備やその積み重ねが本番の結果となり現れる。
自分自身スポーツはやってきた。とはいえ自慢するほどではない。内容も野球と卓球という極端な二つ。しかし、共通点と言えば、比較的個人プレーでやってきていたんだろうということ。
卓球は言わずもがな個人プレーだ。自分の身振り手振りがどう変化すれば、相手も取れない強い打球が打てるとか、足腰を鍛えればもう少し守備範囲が広まるとか。
野球がだって、戦う時はほとんどが一対一なのだ。 バッター対ピッチャー。そして、ボールが飛んで来た時にどう判断してどう身をこなすかを考える野手。
対して、サッカーもバスケもラクロスもバレーボールもチームプレーで、かつ止まらない流れの中で戦っている。チームプレーの競技の場合、全体の利益のために、常に動きっぱなしの有限の時間の中で、間違いなく結果を生み出さなければならない。息を吐く間もない中で最大のパフォーマンスをすることを要求されている。これってとてつもなくメンタルが強くないと出来ないことのように思う。特に野球や卓球等の小休止のあるスポーツと比較して。
ただし、スポーツのその環境下は、現実世界において、特に特殊性を帯びたカテゴリーだと思う。
日常空間とは言い難い。(無論それを職業としている人であれば別だが)
日常空間では、失敗したって良い、いつだって挽回は可能だから、と慰めたりしますよね。
でもそんな日常空間とは言えないかもしれないスポーツからの教訓はとてつもなく多い。それは一般的に世間でもそう思われているし、実感としてもそう思う。
そのうちの重要な要素の一つに、本番で自分の最大限の力を発揮するためのメンタルをどうしたらいいかを教えてくれていると思う。その集中力や、逆境での心の持ち様、チームビルディングの仕方等々だ。
自分にはこの部分が圧倒的に足らない。それに気付かされたのだ。ここ3年間の自分を振り返って特にそう思う。高校生たちの真剣な眼差し。真剣故に、自分だったらどう指導できるかできるか、励ませるか。それに真剣に考えさせられた。かつ出来ないから恥じたのだ。
ではビジネスや実社会はどうなんだ、と。
2種類有ると思う。
期が来たときに最大限に振る舞える人、その機自体を作ることが出来る人。
自分は後者でありたいと思う。新しい流れを現実世界に作りたいのだ。ともすれば、スポーツとは本質的に違うかもしれない、スポーツとはもう既に出来ている枠組みだ。そこで勝ち負けを争う戦い。そう考えると、そう考えていたら少し最初の恥じらいの気持ち、監督業への誤認の気持ちは落ち着いて来た。
ここで、いったん本旨を離れて落ち着いてみる。
自分なりのリーダシップとはなんなのか。スポーツの監督業もある種特殊性があるのではないか。
EQ(心の知能指数)の提唱者であるダニエル・ゴールマン氏が分析したものによるとリーダーシップは6つに分類される。
●ビジョン型リーダーシップ
…組織に属する者全てに自分の夢やビジョンを語って共感を呼び起こし、組織を1つにまとめるために有効に機能するタイプ。
●コーチ型リーダーシップ
…組織に属する者個々人と充分コミュニケーションを図り、各人の長所や短所を把握した上で、部下の能力を最大限に引き出していくタイプ。
●関係重視型リーダーシップ
…組織としての目標を達成する活動よりも組織の人間関係に重点を置いて、組織間のコミュニケーションを密にして結束力を高めていくタイプ。
●民主型リーダーシップ
…リーダーは決断する際に組織の属するメンバーに広く意見を求め、メンバー全員のコンセンサスを取ってから行動に移るタイプ。
●ペースセッター型リーダーシップ
…リーダー自らが率先して成果を上げて、部下の手本となることを目指すタイプ。
●強制型リーダーシップ
…リーダーは部下自らが考えて行動する余地を与えず、全ての状況において部下の行動をコントロールするタイプ。
参考:どんな逆境でもダントツの成果を出す6つの「自分戦略」阿部徹也著
自分の現在の得意分野は、民主型リーダーシップ。ただし、それの欠点はスピード感を失うということ。加えて、メンバーの大半が未熟であった場合は、リーダーシップが無駄になったり、組織のミスリードにつながると言います。
自分が目指したいのは、このリーダシップの強みを活かしながら、ビジョン型リーダーシップやコーチ型リーダーシップの手法を学び、楽しく、強い連携をつくること。それには自分一人では出来ないのかもしれないと気付いた。
相手の気持ちがわかるためには、自分が同じことを経験していなければならない。その経験が自分に十分に足りているとは言えない。ことスポーツにおいてはそうだろう。積み重ねられて来る一つ一つの得点に対して徐々に点差が差開いて来ることに対して、どう精神を保つのか、それは訓練してないと人に教えられない。
しかし、現実世界は全部自分で知っておくことなんて不可能だ。間違いなく言い切れる程に不可能だ。
うん、やる気出てくる。ハードルは高い方が燃えるタイプ。
スポーツをがっつりやっていなかったけど、そういう負けず嫌いのメンタリティは持ち得ています。
そんな28歳始めの気付き。
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